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1997.10.21

1997.10.21
リカ・ミヤタニの誕生 Vol.2


歩き始めたリカミヤタニ  後編

 私たちの住む日本は、クラシックの中心であるヨーロッパから遠く離れています。 私が生まれた頃はまだ海外旅行も一般的ではなく、ヨーロッパへの旅は、羽田からアラスカを経由する北廻りか、東南アジア・中東を経由する南廻りの、15時間から30時間の旅だったと聞きました。 その頃はパスポートを持つ人も少なく、ましてや大学生が毎年ヨーロッパのセミナーに参加するのは普通のことではなかったようです。 それなので、ときどきテレビに映し出されるヨーロッパや異国の風景は、頭の中で情報として理性的に処理されるのではなく、夢のような憧れの地として感覚的に心に残っていたと思うのです。

この地理的に1万キロ離れた距離は、モーツァルトの時代も現代も変わりなくとも、文明の発達により、また情報が数多く交換されるに従い、感覚的に飛躍的に縮まりました。 行ったことのない場所であっても、凱旋門のある広場を見てそこが華の都であることや、人々が後ろにコインを投げ入れる噴水のある場所をイタリアの首都と認識し、ヴァイオリンを弾く黄金のシュトラウス像によってここが音楽の都の市立公園であることを知るようになりました。 それこそ情報は、成田からのノンストップ便のようにダイレクトに行き来するようになったのです。

 訪れたことの無い場所であるにもかかわらず、過剰な情報によって「さも訪れた気になってしまっていること」がないでしょうか。 また、その逆に情報がないからといって過小評価したり、ときには頭から否定してかかっていることはないでしょうか。
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ガイドブックや情報誌、CMやブランド名として、「印刷されたり、テレビで放送されたもの」に盲目的に権威を与えすぎてしまい、結果として自己評価、自分の感覚というものを信じること、実行することを難しくさせてしまっていたことに私は気がつきました。 このような雑多な情報が自分のなかで処理されないままであったこと、処理するプログラムを持っていなかったことが、自分の将来を考える際にも、旅行情報と似たような処理方法を導き出し、例えばコンクールを受けてもいないのに「受けた気になって、うまくいかなかったように考える」ことで困難、試練を避けて通るようになっていたのでした。

自己主張しないこと-誰か何かの言いなりになること、ずっと誰かに「こうしなさい」と言われるまで待つこと、そしてそれを受け入れること。 私はアズユーライクとは全く違う世界で長い間生きていたのでした。

 夢を持つこと。

 とても建設的で、誰もが賛成し、応援してくれそうなことでも、それがより具体的なものになっていくと、必ずしもすべての人が応援してくれるわけではありません。 しかし、誰もが無関心でもないのです。 たったひとりでも、苦しいときに自分の歩いている道を、「それでいい」と言ってくれる人がいれば、どれだけ大きな支えになるでしょう。 私はただ自然にそう思います。 日本という国は、もっとお互いの努力を讃え合う国であればいいと。

私はホームページを開設していて、色々な職業の方からメールをいただくたびに思うのです。 私が住んでいる世界の住人は、音楽を職業とする人ばかりなのに、メールはそれこそメールの数ほど違う業種の世界の人々からであって、私は送っていただいたメールにどれだけ心が和んだでしょうか。 どれだけ強く支えられたでしょう。

なかには一行だけ、「いつも見ています。がんばってください」とか、「いつか聴きに行きます」という短いものもあって、私はそれだけでもとても嬉しく思います。 私はこのホームページで「成長させてもらっている」と考えていますし、自分がこれからどんな風に変わっていくのか、私自身で非常に楽しみにしています。 世の中には私よりももっと世界を飛び回っているピアニストはたくさんいますし、もっと文才があったり、もっと多くの人にクラシック音楽に興味を持っていただけるようなアイデアが豊富な人がいるかもしれません。 けれど、私には私の道があり、こうして世界中のどこにいても、「日本に帰ったらこんなことホームページに書いてみようか」とか、「こういうことは面白いかもしれない」と思っていると、本番の前であってもすぐにリラックスできて、ホームページは色々な形で私を助けてくれているのです。

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