1996.7.27
1996.7.27
ドアの開く前の静寂のなかで・・・ (前編)
7月4日から14日の間に、金沢−高松−宇部−長崎−久留米−鹿児島の各地でのリサイタルツアーに出かけてきました。こうしたツアーは、昨年の11月にワルシャワフィルハーモニー管弦楽団のソリストとして、台湾・日本各地を旅したときに経験済みでしたが、あのときの80名近い団体と違って、今回は自分だけのステージのリサイタルツアーなので、期待と不安がいつも交錯していました。ホール、ピアノ、聴衆の3つの点を結ぶ三角形のなかで、果たして私はどんな宇宙を、どんな時空間を現出できるかということがテーマでした。

皆さんはきっと私と同じ体験をされたことがあると思うのです。演奏会場でまたは自宅でCDを聞いているときに、顕然と目の前に風景が広がったことがありませんか? 感じたことがありませんか? そんな魔法にかかったような体験をひとりでも多くの方に、特に今後はクラシックの世界に必要な子供たちにも感じていただきたいと思っています。
公演の始まりを告げるベルが鳴り終わり、一瞬の静寂にホールが包まれるとき、ステージという宇宙への旅立ちを前にして、私は心のなかでそう思うのです。このドアの向こう側で、私は風になり水に変化し、きらめく陽光や若葉の萌える姿になれるようにと。そしてもうすぐ25才の私がいま、このときに描きたい世界が、ショパンの音楽とともに伝わるようにと。私は25才の感性で今日を生きたい。5年後には30才の自分を通して人生を表現したい。いつの日か50才までピアノを弾き続けていけたなら、その年令の楽しさや辛さ、それまでの歩みを音で表現したいと思います。
6つの街で感じたこと、振り返ったこと。宮谷理香のツアー日記、それではスタートです。
ふるさとへ/7月4日 − 金沢 −
小松空港より金沢市内へ向かう道は、海岸線をずっと走っていきます。7月4日の日本海は穏やかに晴れ渡り、かなたの水平線は私を遠い記憶の果てへと連れ去ってくれます。
私のふるさと金沢へ行くのは、大学1年の春休み以来6年ぶりでした。両親も東京で長く暮らしているため、これまでは、金沢へは帰るというよりは行くという気持ちが強かったように思います。しかし今回のように私を待っていて下さる方々の存在によって、突然金沢は懐かしいふるさととなり、ふるさとへは行くのではなく、やはり帰るのだと強く感じたのでした。誰かが自分を待っていてくれているという感覚は、何かわくわくするような、照れくさいような妙な気分でした。
小学校から大学までずっと東京で暮らしてきた私ですから、金沢には母校がないはずなのに、なぜか不思議とこの街にも自分の母校やクラスメイトが存在しているような、そんな懐かしい、温かい気持ちに包まれていました。そんな気持ちの余韻を残したまま、北国新聞のインタビューを受けました。公演日(5日)の朝刊に掲載されるとのことで、ふるさとでの初リサイタルの抱負などを語ったのですが、本当はもっと心のままを、今ここに文章にしているようなことを伝えられたらと思いました。
一期一会/7月5日 −
この日は北陸放送が取材に来て下さいました。3時間ほど弾き込んで、インタビュー。テレビのインタビューは新聞や雑誌とはまた違った緊張がありますが、基本的には私はテレビのインタビューは嫌いではありません。それは昨年の11月に、NHKニュース7のインタビューで、キャスターの森田美由紀さんが自宅まで取材に来て下さった際に、私がとてもリラックスして応えられる雰囲気をスタッフの方々とともに造って下さったおかげだと思っています。
私は1度でもうまくいけば、引き続いて同じ気持ちを持ち続けることが出来るタイプだと考えています。ですから最初に出会った人の影響って大きいなと思うのです。私もたくさんの人の前で演奏する機会を与えられたのですから、毎回の演奏会、一期一会を大切にしたいと思っています。
たとえ3年しか暮らすことのなかった金沢であっても、私が生まれた街にかわりありません。その3年間と、両親が出会ったこの街がなければ今の私は存在していないのです。両親が友人の皆さんと談笑する姿を見つめながら、人の出会いの素晴らしさを私は感じていたのでした。
サインに込める願い/7月6日 − 高松 −

以前、広島の音楽高校で練習用にピアノをお借りした際に、生徒さんたちと講堂で少しお話する機会があったのですが、私はこれからも単に演奏会だけでなく、音楽高校で何かお話できるような、そういうことも積極的に考えていきたいと思いました。せっかく訪れた街なのですから、単に演奏だけで移動するのはもったいないことです。私の体験談や質問への答えが「明日のピアニスト」への活力となれば、こんなに嬉しいことはありません。
サインする際に私は、出来るだけ相手の方の名前も添えるようにしています。特に言葉を添えることはありませんが、相手の名前をその瞬間だけは大切な友人のような気持ちで書くようにしています。いつの日かまた会えるように、そのときはもう一言多く話せるように、と願いながら。
橋を渡るもの/7月7日 −
瀬戸大橋を渡ったことがありますか? 四国と本州を結ぶ瀬戸大橋が完成して8年、それまで 万人の人がこの橋を渡ったそうです。私にとって初めての瀬戸大橋の印象は、月並みだけれど「大きい!」というものでした。橋というものがこんなに主張を持って、私の前に現れたことはありませんでした。東京湾にあるベイブリッジやレインボーブリッジとは違って、同じ橋でも全く存在理由が異なるものを感じました。瀬戸大橋には四国と本州を単に交通路として結んでいるだけでなく、何かもっと精神的なものを強く感じるのです。
橋の持つイメージは、私にとってはとてもロマンチックなものです。去年までの地図には存在しなかったのに、今年の地図には載っている。今までの自分の人生に存在しなかったものが、今では「そこに在る、感じられるという感覚」何かそれはまるで素敵な出会いのような気がしませんか? 今年3月のデビューコンサートのプログラムで、私にとってのショパンは心の鏡であり、音楽はこころとこころを結ぶ架け橋と思う気持ちを文字にしました。瀬戸内のおだやかな海面は、まさに鏡のように私のこころを映し出し、私にとってのショパンや、私にとっての音楽、人生が波の間に輝いて、こういう瞬間のきらめきを音にかえてステージで再現することが、私にとって至上の喜びなのです。宮谷理香というピアニストは、人間・宮谷理香のこころの代弁者であり、その2人が言葉を交わす場所の一つがこのページなのです。
7月7日七夕。私にとって四国と本州が初めて自分のこころで結ばれた日。きっと七夕の度に私は瀬戸内の海を、思い出すことでしょう。橋を渡るもの、それは単に人間や生活物資だけでなく、人の夢や希望も一緒に海を渡っているのではないでしょうか。